詳しくは前のブログを見てもらう事にしたいと思いますが、僕は特に「河口浅間神社」の素晴らしい巨木の森の事は、会う人会う人に話をしています。
先日、今度、某会報誌に紹介しようと写真を撮ってきたのですが、あいかわらずの迫力でした。
あらためて思うのですが、木は「時間の貯金箱」です。
いったん切ってしまったら元に戻すには同じ時間がかかるので、木を切る際はよくよく考えなければなりません。
材料などとして有効利用するならともかく、「じゃまだから」などいう理由では、よくよく考えてもらいたいと思います。
当然、植える時も将来をよく考える必要があります。
人間は木と共存すべきだと思うのですが、でもでも、それは人間の都合でなかなか難しい。
街路樹などでも、路盤が舗装されているものだから、葉っぱがアスファルトに落ちて掃除しなければならないとか、枝にとまった鳥の糞で汚れるからとかで、無残に枝を切られてしまった場面を目にします。
この単純な現象が共存を妨げているように思います。
紅葉の頃には、舗装面に落ちた葉っぱを掃除してかき集め、それは多分焼却されるのでしょう。手間やお金が掛かりますし、土に戻せば養分になる葉っぱを焼却しているなんて、二重の無駄です。
舗装をしないなんてことはもう無理なので、葉っぱが落ちてもそのままにしておける、スポット公園のような小さな森を街の中に沢山作るしかないのでしょうか?
パリで、ドミニクペローの国立博物館や、ジャンヌーベルのカルティエ財団美術館の緑の使い方を見たときは衝撃を受けましたが、考えてみると両方とも葉っぱのことはあまり気にしなくていいような気がします。
あと先日京都に行って来たのですが、京都はどうだったかな?
伊根の舟屋まで足を延ばしてきました |
まとまりのない文章ですが、今日はこのへんで。