先日、ここで以前も書いた、良い川の近くの別荘の現場調査に行ってきました。
当初は、都市計画区域外だから申請関係必要ないので手間がかからないな!などとタカを括っていたのですが。
フタを開けてみると、国立公園ないの規制やら、敷地の境界線の確認やらで、町場での確認申請とは比べ物にならない程事前の手間がかかっています。
まあ、良い環境の場所に家を建てるのは大変、ということなのでしょう。
でもまあ、こんな良いところなのですから。仕方ありませんね。
ところで上の写真を見ていて、ふと気が付きました。
「直線が全くない」
それなりに真っ直ぐな木もありますが、厳密な直線ではありません。
高層ビルとか、今打ち込んでいるキーボード、もちろん我らがヒノキの柱なんてのも含めて、現代社会には直線が溢れています。
しかし、それらは人間が作った物で、自然界には直線ってほとんど存在しません。
考えてみたのですが、自然のもので我々が目にする直線って、朝靄に写し出された太陽の光くらいしか思い付きません。
あと何かありますかね?
でも、もしかしたら、それを生み出しているにもかかわらず、自然物の1つである人間にとって、自然にはほとんど存在しない直線は、ストレスになるものなのではないのでしょうか?
そんな事を考えていると、今周りにあるノートや定規iPad、全ての直線がやけに気になってきました。
人は、直線で無いもの(=自然)を求めて、山や海に行ったり、観葉植物を飾ったりするのではないでしょうか?
故ザハハディドさんが設計し、実現する筈だった新国立競技場も、直線が殆ど無かったような気がします。
あれが実現していれば、都会のど真ん中がどんな憩いの場所になっていたかと思うと残念でなりません。
新国立競技場の例を見るまでもなく、現代の技術では、直線でない建物を造るのは色々な意味で大変で、木造住宅に至ってはホント大変だと思います。
でも茅葺の古民家なんて、厳密な直線はありませんよね。
今まであまり気にしてこなかった、直線でないという事。
真っ直ぐな柱と梁を用いて造らざるを得ない今回の別荘も、せめて、できるだけ直線でない部分をつくって、考えてみたいと思います。