2019年8月1日木曜日

190801 サウナのこと3

前回からの続きです。

ちょっと脱線しますが、縄文という事について書きます。

縄文と聞いて、まず思い浮かぶのは何と言っても縄文式土器ではないでしようか?

対しては弥生式土器が思い浮かぶと思います。

日本建築でも西洋建築でも、縄文的な感じと弥生的な感じで分けるとシックリする気がします。民家は縄文で、数寄屋は弥生とか。

民家は縄文だとシックリきました。では、縄文って何だ?と思っていた答えもこの本にあったのです。

結論から言うと、縄文とは木の在るところです。



縄文時代、人間は大きな木があるところで暮らし、狩猟や木の実などを食料にして暮らしていました。

でも、これは縄文人が好んでそうしていたのではありません。木を伐る道具が石斧しかなかったので、そう簡単に木を伐る事ができなかったのでしょう。

そこに大陸から鉄器が入ってきて、バンバン木が伐れるようになった、今の道具で考えてみると、ノコギリがチェーンソーになった位の勢いで木を伐る事ができる様になったのです。

バンバン木を伐り、そのおかげで開けた土地で稲作が始まったのです。



鉄が時代を変えたのです。なんかそれらしいですね。

出雲の「国譲りの神話」では、元々日本を治めていた大国主命が、天照大神に国を譲る(追い出される)話が出てきますが、そのやりとりの中で、鉄の剣が重要なツールとして出てきます。

鉄器によって大国主命(縄文)から天照大神(弥生)に変わった事を表しているのだと思います。

ちなみに、追い出された大国主命一族はどうしたかと言うと、長野の諏訪地方に逃げてきたそうなのです。

僕は、諏訪大社を信仰しているのですが、その話を聞いて縄文好きの僕としては非常に嬉しくなりました。そして「そう言えば諏訪大社の御柱際も縄文的だな」と妙に納得したものです。



平地でもあちこちに巨木が生い茂っていた縄文時代を想像すると、ワクワクしてしまいます。

例えば屋久島などのように、山の中に巨木が生い茂る状況はイメージできます。しかし平地で巨木が生い茂る場所というのは意外とイメージできません。

そんな事を考えていたら、思いがけずにそんな場所を発見しました。伊勢神宮です。特に外宮を初めて訪ねた時、「縄文時代は日本中がこんな感じだったんだ!」と感動したのを覚えています。





伊勢神宮 こっちは内宮


ちなみに、先ほどの「国譲りの神話」では、天照大神は弥生時代の象徴なのですが、その天照大神を祀る伊勢神宮に、縄文が残っている事は非常興味深いものです。



その4につづきます






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